2006年4月20日 (木)

石岡瑛子IN六本木ヒルズ

石岡瑛子の『I DESIGN』トークショーへ行ってきた。

石岡瑛子といえば映画の『ドラキュラ』『CELL』のコスチュームデザインを思い浮かべる人が多いと思う。

当日券があるから空いているのかと思っていたが、会場入り口から人が受付まで30人ほど並んでいた。会場に入ると後部席しかないくらい人だらけであった。

会が始まりⅠ部の映画上映は『MISHIMA』だった。

日本では上映もレンタルもされない作品。見ていてウトウト眠りかけたが、いくつか石岡瑛子氏らしいデザインが見られた。

内容的にも三島由紀夫という人物像を改めて考えることができ、好きでもなく嫌いでもない古典的な感覚。

ただ、鼻につくナルシスト三島由紀夫像が石岡瑛子氏のデザインと時に絡み合って、少し不気味にも見えてくる。

そんな二人の世界観が噛み合った部分を垣間見れるのはある意味貴重でもあった。

やっと長々とした映画が終え、やっとⅡ部・・シナリオ通りの映像を流しながらのトークセッション。

トークセッションはどちらかいえばありきたり感が強い。

もう石岡瑛子は教科書のような人間だった。

まさに本に書いてある『I DESIGN』そのもののことばかり。どちらかいえば今までから現在に至る伝記を話していた。意外な話はひとつもなかった。

ただ印象に残ることはアメリカと日本の違い・・それは誰でも知っている表現者に対する社会的な位置付けスケールとスタンスだった。

ワダエミ氏もそうだが、世界を舞台に活躍している人はある意味の壁を乗り上げてこそ築きあげれる舞台が用意されているのだと実感させられる。

少し余談だが、今回のトークセッションはちょっとフェミニストのような発言が多く感じられたのだが、気のせいだろうか。

それにしてもⅠ部の『MISHIMA』は観た方も多いだろうから、あれを最初から終わりまで上映するのもどうかと思うところもあり。

しかも三島由紀夫のインパクトが濃いから、その後のトークが薄れた感覚もある。

金額的に考えると全体的に内容は満足といえるが、会場に来ている方は石岡瑛子氏その人の話が聞きたくて来ているのだろうから、もっと上手くプログラムを組んで欲しかった。

トークセッションが長引いたせいか、途中に何人か会場を後にしていたのは、やはり映画とトークのバランスのせいでもあるのでしょう。

それにしても日本という国を嫌う日本人がたくさんいるのに改めて実感させられる。

日本の文化構造そのものの見方が間違っているからでしょう。

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2006年3月27日 (月)

燃えメイド私生活

秋葉原にいるメイドカフェのメイドさん達の実生活

さっきまたテレビでメイドカフェの特集をやっていた。今まではメイドカフェにくるお客さんを題材としてきた番組が多かったが、需要と供給、供給する側(実際に働きサービスする)が取り上げられていた。メイドをしながら声優を目指している人や精神的に昔自律神経失調症だった人、ただ単にコスプレが好きだから、とやはり様々な動機また育ってきた環境があって勤めているみたい。ただ単にアルバイトをする感覚とはちょっと違うところがみそ。

両親が反対していてもメイドにこだわる理由は、自分自身を認めてくれるからだと言っているが、その認めてくれる人というのはお客さん=社会人ということなのだろう。メイドを通して自分自身を認めてもらえるということは、とにかく自分の存在を肯定してもらえるという快感。その両親はメイドカフェと風俗のイメージが一緒だったみたいだから、実際に行ってみてその手の男性相手のサービスではないことが分かったみたい。

そこまでやるか!献血アップへあの手この手そこまでやるか!献血アップへあの手この手http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060323i408.htm

なんらかの形で社会に認められたいという欲望は誰にでもあることだと思う。その手段としてメイドという職業を選択することについては、特に周りが意識する必要ということはないように思う。生きていればどの職業・社会でも多く見られる。

ここで意識をして見る人というのはメイドカフェに行ったことがない人たちで、ニュースやらで時々メイドカフェのことを聞いたり見たりした勝手な偏見(イメージ)というのは持っているのだろう。全然フツーのカフェと変わらないのにね?フツーのカフェとの違いはショーがあったりゲームを一緒に楽しんだり写真を撮ったり、コミュニケーションの形がちょっと従来より特殊だと思える(一般的に見える?)ところ。ただ、ご主人様とメイドという主従関係が前面にあることがちょっと引く。エスカレートしたら一種の奴隷制度と同じようになるのか?ということを考えてみたが、個人レベルでいう仮想プレイのような錯覚のものかも?そう考えていると東京大学メイド研究会にたどりつく。http://maidken.hp.infoseek.co.jp/

先日も秋葉原へ行ってみて思ったことは、どこへ行ってもメイドの格好をした人が多くなってきたなということ。それでメイドという職業の全体的な価値が下がり、誰でも簡単にメイド服を着ただけでできるメイドは今の世間のニーズに対応はできても、つまらないように感じてしまうような気がしてならない。

あくまでも女性から見たメイドに対することについてだけど、社会的に見た女性の地位というのは昔から変わらず男社会に踊らされた女性の仕事?のあり方なのかもしれない。

メイドが今になってチヤホヤされているのは、女性という性の部分を特にウリにしたサービスでもあるのだから、昔でいうブルセラと似ている部分があるのかもしれない・・などと派手になった秋葉原を歩きながらも心は寂しくなっていた。

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